市民風車は、多くの皆さんに支えられて回り始めます。
クリーンな電気は、人、街、モノ、コトをつなぐエネルギーも届けます。
ここでは、市民風車を介してつながったさまざまな皆さんをピックアップ。
一人ひとりの想いを紹介していきます。

連載06見学者に教わった
建てる喜び

建設計画管理

風力発電所の開発には、開発設計費、環境影響調査費、風力タービン調達費のほかに、土木・建設関連のさまざまな費用がかかる。安全性を担保しつつ、いかにコストを抑えて事業化を見通せるか。そのためにプロが知恵を絞っている。

奥原 正好Masayoshi Okuhara

埼玉県出身。大学土木科卒。電気工事会社勤務時代に、当社案件の建設工事の現場監督を務める。豊富な経験を買われて退職後の2015年に入社。土木工事・設備搬入・送電線敷設・用地整地などの計画立案と工事を担当し、全国を飛び回っている。

「夢風」から始まった
第2の仕事人生

秋田県南西部に位置し、西に日本海を臨むにかほ市は古くは北前船の寄港地として大いに栄え、上方と東北の間の商品流通を担っていた。旧仁賀保町の平沢港近くには室町時代に創業した蔵元がふっくらした酒を造り続け、城跡や陣屋敷などかつての賑わいを今に伝える史跡も多い。近年、市では安定した強い風が吹く土地を活用するため風力発電所の建設を受け入れている。中でも鳥海山の山麓、標高500mほどの仁賀保高原に集中し、林立する風車群の風景は圧巻だ。

事業開発部で土木建設系の責任者である奥原正好がこの街を初めて訪れたのは、2011年のことである。以前勤務していた電気工事会社が、生活クラブ風車「夢風」(2012年4月運転開始)の建設業務を請け負い、現場監督として1年ほど過ごした。それまで多く風力発電所の建設に携わってきたが、市民風車の工事で出会ったのはそれまで付き合いのないタイプの人だった。

「事業主が生活クラブさんということもあって女性の組合員さんたちが現場まで見学に来られたり、竣工したときにはとても喜んでくれました。それまでは、無事に建てて当たり前でしたから、経験のないことばかりで驚きました」。初めこそ戸惑ったものの、人とのつながりは励みに変わった。社長の鈴木とも親しくなり、定年退社後に請われて再就職。「夢風」との出会いから第2の仕事人生が始まった。

建設計画を立案し、
工事の進捗を見守る

奥原は、発電所の具体的な建設計画の立案と建設会社の選定、工事進捗の管理を担当しており、週1回のペースで候補地を調べ、現場を訪れて進捗を見守る。

発電所の建設は、着工から竣工までおよそ1年から1年半。輸送路の整備や予定地である山林などの造成から始まり、風車の基礎工事、ブレードやタワーなどの輸送と組立て、そして、送電線工事、変電所建設、電気工事、最後に風車メーカーによる出力調整が行われて稼働を迎えるというのが一般的な流れだ。

鈴木たち開発チームから発電所を建てたいという候補地の連絡が入ると、現場で合流。ここならコストを抑えて建設できるという場所を決めて、事業化に向けてさまざまな要件を整えていく。並行して行われている用地交渉の進捗なども踏まえ、タワーやブレードの搬入ルートや輸送計画をまとめ上げる。「自分が立てた計画がその通りに進み上物が載っていく様子を見られたときは、土木屋として一番の喜びを感じます」

場所を見直すことで、
事業化に着手

2018年12月1日、にかほ市の中心部から車で10分ほど仁賀保高原を登った馬場地区で、当社と当社のグループ会社である(株)CCSが開発した「にかほ馬場風力発電所」(出力7,490kW)が運転を開始した。想定年間発電量は約2,520万kWh。これは一般家庭約8,000世帯分の年間電力使用量に相当する。

今回の案件は2011年に電力会社の応募案件に当選していたが、電力会社の送電線の連系点まで遠いことから、長らく事業化にゴーサインが出されないままだった。それを4年前に入社した奥原が改めて調査し、場所決めを見直すことで建設に漕ぎ着けたものだ。予期しない決め事に頭を悩まされたが、奥原たちの地道な努力が報われる日が来た。これから仁賀保高原では、日本海から強い風が吹き荒れる。人間にとっては厳しい季節の始まりだが、自然のエネルギーが街や家庭に光を届け、暖めてくれる。

コスト削減で再生可能
エネルギーの発展を

気づけば、40年余り土木・電気の仕事をやってきた。工事を請け負う側から発注する側へ立場が変わり、今は現場に張り付く業務ではなくなったが、それでも建設候補地を回って計画を考えるのは楽しい。夜間の輸送の立ち合いなど、体がきつく感じることもあるが、発電所の完成を喜んでくれる人たちがいる以上、まだまだ頑張らなくてはならない。

日本の風力発電コストはまだまだ高い。その原因は多岐にわたっているが、工事現場の工夫でできるコスト低減も少なくない。それを地道に積み重ねてくことが、再生可能エネルギーの発展にも寄与する。奥原の肩に乗る責任が軽くなる日は、当分先だ。